東京地方裁判所 平成11年(ワ)13415号 判決
原告 A
原告 B
原告 C
原告 D
右三名法定代理人親権者母 A
右原告四名訴訟代理人弁護士 江尻隆
同 鯉沼希朱
被告 東京海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役 丸茂晴男
右訴訟代理人弁護士 柏木秀夫
同 松吉威夫
同 鈴木邦人
主文
一 被告は、原告Aに対し八八万五五〇〇円、同Bに対し一〇二九万五一六六円、同C及び同Dに対し各七八九万五一六六円並びにこれらに対する平成一〇年一二月一五日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
主文と同旨
第二事案の概要
本件は、原告らが、被告に対し、訴外亡E(以下「E」という。)と被告との間で締結された別紙保険契約目録記載一ないし四の各保険契約に基づき、それぞれ主文のとおり保険金の支払を求めたのに対し、被告が、後記各支払免責条項の適用を主張して、これを争っている事案である。
一 前提となる事実(証拠の摘示のない事実は、争いのない事実である。)
1 保険契約の締結
Eは、被告との間において、別紙保険契約目録記載一ないし四の各契約日に、同目録記載の内容の各保険契約をそれぞれ締結した。
同目録記載一ないし三の各保険契約には、いずれも、扶養者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡したときは、同目録記載一ないし三の各育英費用を被保険者に支払う旨の約定がある。
同目録記載四の保険契約には、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡したときは、同目録記載四の死亡保険金欄の計算式により算出される保険金額を死亡保険金受取人に対して(指定がないときは被保険者の法定相続人に法定相続分の割合により)支払う旨の約定がある。本件における右保険金額は、一七七万一〇〇〇円と算出される(甲四)。
2 支払免責条項
(一) 扶養していない場合
同目録記載一ないし三の各保険契約には、いずれも、扶養者が死亡した時に、扶養者が被保険者を扶養していない場合には、育英費用保険金を支払わない旨の約定がある。
(二) 犯罪行為又は闘争行為によって生じた傷害
同目録記載一ないし三の各保険契約には、いずれも、扶養者の犯罪行為又は闘争行為によって生じた傷害の直接の結果として扶養者が死亡した場合等の損失に対しては、保険金を支払わない旨の約定がある。
同目録記載四の保険契約には、被保険者の犯罪行為又は闘争行為によって生じた傷害に対しては、保険金を支払わない旨の約定がある。
3 保険事故の発生
Eは、平成一〇年二月八日、F(以下「F」という。)により刺殺された(以下「本件事故」又は「Fの刺突行為」という)。
本件事故当時、別紙保険目録記載四の保険契約においては、死亡保険金受取人の指定がされていなかった。被保険者であるEは朝鮮国籍で、北海道苫小牧市で出生し、特別永住者の資格で在留していた(甲七)が、その法定相続人及びその法定相続分は、妻である原告A(以下「A」という。)が二分の一、子である原告B、同C及び同D(以下三人を合わせて「Eの子ら」という。)がそれぞれ六分の一ずつであると判断される(甲一三)。
4 保険金支払の催告
原告らは、被告に対し、平成一〇年一二月一五日までに、前記1の各保険金額を支払うよう催告したが、被告は、右各保険金額を支払わない。
二 争点及びこれに関する当事者の主張
1 Eは、本件事故当時、Eの子らを扶養していなかったか。
(被告の主張)
Eは、平成七年一一月ころ、Fと知り合い、離婚して独身であるなどとして、平成八年一月末ころには同女と同棲するに至り、そして、平成九年九月を最後にAに生活費を渡さなくなっていた。Aは同年一二月から働くようになっているところ、これはEによる扶養をあてにすることができなくなったためであると考えられる。こうしたことなどからすると、Eは、本件事故当時、Eの子らを扶養していなかったというべきである。
(原告らの主張)
Aは、昭和五九年二月にEと結婚して以来専業主婦であって、Eの子らとともにその扶養を受けてきた。EはFと交際を始めてからは、あまり家には帰らなくなったものの、それは債権者から身を隠さなければならない事情が存在していたこともあったためであって、家族生活の実態が失われたわけではないし、平成九年九月まで、月額二〇ないし二五万円を生活費としてAに渡していた。右以後は、Eの収入から従前蓄えていた貯金を取り崩すことによって生活費に充てていた。また、Aは、同年一二月二〇日から働きに出たものの、それは本件事故の約一月半前からの臨時勤務であって、その収入も月八万円程度にすぎず、Eが原告ら一家の経済的支柱であったことに変わりはない。これらの原告らの生活の実情等に照らせば、本件事故当時、Eによって原告らは扶養されていたというべきである。
2 本件事故は、Eの闘争行為によって生じたといえるか。
(被告の主張)
(一) Eは、本件事故当時、Fに対し執拗かつ強力な暴行を加えて負傷させているほか、自ら包丁を持ち出し「やれるものならやってみろ」、「ほら刺せ」などと挑発し、Fの感情を爆発させる誘因をつくっており、しかもその後謝罪などの措置を講じず、かえってFを鋭く睨み付けるなどしているのであるから、Eは、本件事故を自ら招いたものというべきである。また、Eよりも体力的に劣る女性であるFとしては、素手でEに反撃してもかなわないという意識に至ることは当然であって、その意味ではEが持ち出した包丁を使用することは当然に予期できることであるし、Fの友人であるG(以下「G」という。)が包丁を戸外に投げ捨てたのは、かかる危険性があると判断したためであると思われることなどからすると、本件事故の危険性が客観的にも存在したというべきであって、Eは本件事故の発生を予見できたし、また予見すべきであった。こうしたところからすると、本件事故は闘争行為によって生じたものといえる。
(二) 仮に、本件事故が、全面的に闘争行為によって生じたとはいえないとしても、闘争行為と本件事故との間における因果関係の割合的認定によって本件の解決を図るべきである。
(原告らの主張)
(一) EとFとは、いわゆる愛人関係ないし内縁関係にあったところ、Eの暴行は、Eが酒によってFにからんだという日常の些細なことがらがきっかけとなったものであって、女性であるGが素手で受傷の危険を感じることなく素手で組み止めることができる程度のものであったことや、Eの暴行の現場に第三者であるGもいたことからすると、Eが受傷するような危険な攻撃がFから加えられることは当時想定し得ないものであって、その意味では夫婦喧嘩の域にとどまるものであった。このことは、Fの刺突行為の際、EもGも倒れたまま起きあがることもせずに無防備であったことからも裏付けられる。したがって、本件事故は危険な闘争行為であったとはいえない。
(二) 仮に、EとFの争いが闘争行為といえるとしても、闘争行為によって生じた傷害というためには、その傷害が、当該闘争行為の時に被保険者の立場に立って、被保険者の予想し得る範囲にあることが必要である。
本件事故は、EがGとともに仰向けに転倒した後、FがGによって投げ捨てられた包丁を拾い部屋に入ってきてから、倒れたままのEを刺殺したものであるところ、Fは攻撃の動機について部屋に入ってから見た光景に嫉妬したからと説明している。このことに、Eとしては起きあがる時間的余裕が充分にあったのに無防備な状態のまま刺殺されていることや、本件事故はそれまでEがFに対し加えていた暴行とは質的に全く異なるものであることを併せ考慮すると、Eにとって、Fの刺突行為は予想し得る範囲になかったというべきであるから、相当因果関係を欠き、本件事故は闘争行為によって生じたとはいえない。
3 本件事故は、Eの犯罪行為によって生じたといえるか。
(被告の主張)
EとFはつかみ合いの喧嘩をし、EはFに対し執拗かつ強力な暴行をFの友人であるGの面前で加えたこと、Eは自ら包丁を持ち出しており、自らあるいはFがこれを使用してエスカレートする危険も高かったことなどからすれば、Eの暴行行為は、公益的見地からみても黙視できない不法性を有する以上、本件事故は、Eの犯罪行為によって生じたといえる。
(原告らの主張)
(一) Eの暴行は、Eが取り押さえようとしたFらを振り解こうとしてFを殴打したことに端を発したもので、その程度も同女に傷害を負わせるほどのものではなく、一般的な家庭内の喧嘩の域を出るものではなかった。このように、Eにおいて生命の危険はなかったし、また、公益的見地から見ても強度の不法性を有するとはいえないので、犯罪行為には該当しない。
(二) 仮に、Eの暴行が犯罪行為といえるとしても、犯罪行為によって生じた傷害というためには、当該犯罪行為の時に被保険者の立場に立って、通常人が知り又は予見することができたであろう一般的な事情及び被保険者が現実に知り又は予見していた特別事情を基礎事情として、この事情のもとで被保険者の犯罪行為により被保険者が受傷したとするのが一般的、社会的見地から妥当である場合でなければならない。
前記2の原告の主張のとおり、Eの暴行等とFの刺突行為との間にはかかる相当因果関係がないから、本件事故は、Eの犯罪行為によって生じたとはいえない。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 本件各関係者の生活状況について、証拠(甲七ないし九、一六ないし一八、乙一一、三八、五一)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) Eは、Aと昭和五九年二月一四日婚姻の届出をし、パチンコの釘を設定する仕事などをして稼働していた。同人らは、同年八月一一日に長男原告Bを、昭和六一年一二月一五日に長女原告Cを、平成元年一二月九日に次女原告Dをもうけた。Eは、この間の昭和六一年九月ころ、原告らの住所地にE名義の家屋を新築して、そこに家族とともに居住するようになった。
(二) Eは、平成五年ころ、札幌市豊平区に有限会社ワイシーテックというパチンコの機械などを販売する会社を設立した。このころ、Eは、美唄の自宅からこの会社に通ったり、札幌にマンションを借りて居住し、家族がそこに出掛けて行ったりしていた。同社は平成八年一月ころ倒産し、Eは、その後スタンプ倶楽部という機械を販売する仕事を始めたが、その仕事もうまくいかなくなった。そして、そのころから、Eは、美唄の自宅にあまり帰宅しなくなったが、その後も引き続き原告らの生活費として月二〇万円以上を渡していた。
(三) Eは、平成七年一一月ころ、客として赴いたクラブの従業員であったFと知り合い、交際を始め、平成八年一月ころには当時Fが居住していたアパートで同棲するようになった。
ところが、Eは、同年三月ころからFのアパートに帰らないことが多くなり、同年五月ころには、Fのアパートの荷物を引き払って出て行った。
(四) Eは、その後平成九年五月ないし七月ころにかけて、自宅の庭の手入れをしたり、原告らと庭で焼き肉を楽しんだりするなど、同年七月初めころまでは原告らとともに生活していた。そして、同年九月末ころ、久しぶりに美唄の自宅に帰宅して、生活費として二〇万円を交付した後は、帰宅することがなかった。
そして、Eは、同年一〇月ころ、Fと本件事故現場となった札幌市中央区のアパート(以下「本件アパート」という。)で再び同棲を始めた。
Aは、同月二五日にEと電話で会話をした後、Eと連絡を取ることができなかったが、このころ、Eは、多額の債務を負担していた様子であった。この間も、Eはその手帳に子供らへの思いを書き留めるなど、原告らのことを気遣ったりしていた。また、Aは、この間、Eから離婚の話を持ちかけられたことはなかった。
(五) Aは、平成九年一二月二〇日からクレジット会社の事務員として臨時に雇用され、月八万円くらいの収入を得るようになったものの、従前Eが貯えていた二〇〇万円ほどの預金を下ろして生活していた。なお、この預金の形成について、Aの右稼働が寄与したことを窺わせる証拠はない。
原告らは、いずれも、本件事故当時、Eを世帯主、有効期限を平成一一年九月三〇日までとする国民健康保険の被保険者であった。
2 以上認定した事実に基づいて検討するに、原告らは、本件事故当時、原告Aの稼働による収入のみでは生活費として十分でなく、Eにより貯えられた預金をあてにし、これを取り崩して生活していたこと、Eは、平成八年一月ころからFと同棲を始めた後も原告らに対しその生活費を支払っていたこと、Eは平成九年一〇月ころFとの同棲を再開してからは原告らの生活費を支払わなくなったが、これとて本件事故のわずか数か月前からのことにすぎないこと、この間も、Eは、原告らに対する気遣いをしていたこと、原告らは、本件事故当時、いずれもEを世帯主とする国民健康保険の被保険者とされていたことなどが認められ、このような原告らの本件事故当時における客観的な経済状態、生活状況等からすると、Eが本件事故当時Eの子らを扶養していたことは明らかである。
これに対し、被告は、前記第二の二1の被告の主張のとおり、Eが子らを扶養していなかった旨主張している。なるほど、本件事故当時、EとFとが同棲していた事実が認められることは前記認定のとおりである。しかしながら、Eは平成八年一月ころからFと同棲したものの、この同棲生活はその二か月後には不安定なものとなり、更にその二か月後には解消されたことなどからすると、今回のFとの同棲生活がその後も確定的に継続したであろうとは必ずしも考えられないし、こうした従前の経緯に加え、Eが原告らとの家族関係を断ち切ったと認めるに足りる事情は何ら窺われず、むしろ平成九年五月ないし七月にはEは原告らとの家族生活を営んでいるところである。こうしたことに右説示したところを併せ考慮すると、EとFとの同棲生活と原告らの扶養とは両立するものというべく、被告の右主張には理由がない。
二 争点2及び3について
1 本件事故に至るまでのEとFの関係及び本件事故の状況について、証拠(甲一四、一五、乙八の一及び二ないし一二、一六、一七、一九、二一、二五、二八ないし三〇、三三ないし四一)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) Fは、中学卒業後ホステスなどをして稼働し、平成六年八月、Hとの間に長男Iをもうけたが、Hが逮捕されたこともあって、一人でIを育てていた。
Fは、同八年一月ころEと同棲を始めた当初は、EがIを可愛がったりIもEになついていたこともあって、Eとの生活を幸せに感じ、Eを自分の姉妹に紹介したりもし、Eとの結婚をも考えるようになっていた。
(二) ところが、Fは、平成八年三月ころEの子を妊娠し、これをEに告げたところ、Eは他人事のような言動をするのみであって、Eの入籍の意思も疑わしい事情が生ずるなどして、Eとの将来に不安を持ち始めた。Eは、同年五月ころ、Fから婚姻関係について問い質されたことがきっかけとなって、Fのアパートから出て行った。そして、Fは、Eと別れるつもりで、同年六月に中絶手術を受けた。
しかし、Fは、その後もEに対する思いを断ち切ることができず、再びEとの交際を続けていた。
(三) Eは、平成九年七月ころから、債権者らから逃れるためにキャンプ生活を始めたが、Fは、それに付き合って洞爺湖などで共に過ごした。しかし、Fは、キャンプ生活中の同年八月ころ、再びEの子を妊娠したことをEに告げたが、Eの態度が冷淡なものであったこと等から、キャンプ生活をやめて自分のアパートに戻り、いよいよEと別れる決意をして、同年九月に二度目の中絶手術を受けた。
しかし、Fは、その後もEとの関係を続け、同年一〇月ころ、Eから一緒に住もうなどと言われ、Iも含めた三人での幸せな生活を期待し、勤め先を変えたり、友人から借金をしたりして本件アパートを借り、再びEと同棲を始めた。ところが、直ぐに、IがEのことを嫌うようになり、他方でEはIに意地悪をしたりするので、Fは、仕事のある平日はIを祖母に預け、休日のみIを本件アパートに連れて来て生活するようにした。FがIを連れて来るとEは決まって機嫌が悪くなりIを邪険に扱うことから、EとFの間では、Iのことで喧嘩になることが多くなった。Eは、喧嘩の際には、Fに対し部屋の物を投げ付けたり、Fを突き飛ばしたり、Fに包丁を投げつけたりしたこともあった。Fは、何度もEと別れようと考えたものの、やはりEに対する思いを断ち難く、同棲生活を続けていた。
(四) Fは、平成一〇年二月七日午後七時ころ、祖母に預けていたIを連れて、本件アパートに帰宅した。本件アパートで飲酒していたEは、帰宅したFから内緒で撮影した写真を取り上げようとして、Fともみ合いとなった。その際、Eは、Iが持っていた粘土遊び用の小さなヘラが首の辺りに当たったことに腹を立て、Iをはねのけ怒鳴るなどした。Eは、その後の夕食中も機嫌が悪かった、そこで、Fは、午後八時三〇分ころ、Eの機嫌をなだめようと友人であるGに電話をし、本件アパートに来るよう誘った。
Gは、午後九時ころ、ワインやビールなどを持って本件アパートを訪れ、Fと二人でそれらを飲んでいたが、午後一〇時三〇分ころ、寝ていたEを起こし三人で飲み始めた。午後一一時ころIが寝ると、Eは、Gに対し愚痴をこぼし始め、「こんな生活最低だ」などと言うなどし、Fとの間でやや口論となったものの、Gが仲介したこともあって、EもFも機嫌を直した。
(五) ところが、EとFは、翌八日午前零時過ぎ、再び言い争いになり、Eの言動に腹を立てたFが、Gに対し「首ちょん切ってやりたくなるしょ」などと言ったところ、EはFに対し、ワインの入ったマグカップを投げつけたり、テーブルを持ち上げてひっくり返すなどした。
そして、Eは、自分の背中付近の流し台下の扉を開けて包丁を取り出し、片方の手に持った包丁を自らの喉元に突きつけ、Fに対し、「やれるもんならやってみろ」などと怒鳴った。これを見ていたGは、慌ててEの後ろから包丁を持った方の手にしがみつき、FもEの手にしがみついて包丁を取り上げようとした。Eは、立ち上がり、Fらと包丁の取り合いになったが、この間、自分の正面にいたFに対し、包丁を自分の首に突きつけたまま、包丁を持っていない方の手でFの顔や頭を殴打したり、足で蹴ったりするなどの暴行を加えた。
(六) Gは、Eの隙をみて、Eの持っていた包丁や部屋の中にあった他の数本の包丁を集めた上、部屋の外に出てこれらを本件アパートの階段下に投げ捨てた。この間、FとEは立ち上がったままつかみ合い、Eは、Fに対し、その顔や頭を手拳で殴打したりした。部屋に戻ったGは、これをやめさせようと、Eの背後から組み付いて腕をEの首に巻き付け抑えたところ、バランスを崩してGがEの下敷きになるような格好で二人とも仰向けになって後ろに倒れた。Eは、倒れた後も前に立っているFを蹴り上げようとしたので、Gは、Eの足に自分の左足をかけて押さえ、Fに対し警察を呼ぶように言った。
(七) Fは、一旦は警察を呼ぼうと電話機の方へ向かったものの、ためらい、ふとEを見たところ、Eの目つきがFを睨み付けているように見えたため、恐怖を感じ、Eに太刀打ちするには包丁が必要であると考え、戸外に捨てられた包丁を拾うために本件アパートの階段を下りて、落ちていた包丁を拾い、洋包丁一本を手にして部屋に戻った。
このころ、Gは、押さえつけていたEから苦しいなどと言われたため、Eの首に巻き付けていた腕の力を緩め、落ち着いてなどと言い、Eの顔や頭をなでるなどして、なだめた。Eの興奮状態はこのころ大分収まってきて、更にFに向かっていくような勢いや言動などはなかった。
(八) 部屋に戻ったFは、Gと重なり合った形で仰向けに倒れていたEを見て、Eに罵倒されたりIを邪険に扱われたことや、この日Gの面前ですらも暴力を働いたことに対する憎しみや悔しさが一気に込み上げ、一瞬の激情に駆られ、午前零時二八分ころ、殺意をもって、Eの左下肋部を所携の洋包丁で一回突き刺した。その後、Fは、我に返り、Eに対し「死なないで」などと言った。Eは病院に搬送されたが、同日午前一時三〇分ころ、大動脈刺創に基づく失血により死亡した。
なお、Fは、本件事故当日Eから加えられた暴行により、左眼部を負傷している。
(九) Fは、平成一〇年二月二七日、殺人罪で札幌地方裁判所に起訴された。同裁判所は、同年九月二五日、殺人罪で懲役八年の判決を言い渡し、Fからの控訴に対し、札幌高等裁判所は、平成一一年二月二五日、控訴棄却の判決を言い渡し、同判決は、同年三月五日、確定した。
2 争点2について
そこで以下、右認定の事実に基づいて、争点2について検討する。
闘争行為によって生じた結果について保険金の支払を免責する趣旨は、被保険者が第三者とたたかい争う場合、第三者の反撃によって傷害ひいては死亡という結果が生じ得ることは当然予想できるものであり、このような場合に保険金が支払われるとするのは、信義則に照らして著しく不当と考えられることによるものと解される。
これを本件事故についてみてみると、Eは包丁を持ち出した後Fに相当程度の暴行を加えているものの、Eは、包丁を自らの首に突きつけているに止まり、Fに対する積極的な攻撃手段としては使用せず、EのFに対する暴行は手拳や足蹴りといったものに終始していること、また、Eが包丁を持ち出したのは、Fが飲酒した上でGに対し「首ちょん切ってやりたくなるしょ」などと言ったことに呼応して、飲酒していたEにおいて「やれるもんならやってみろ」などと言った形のものであること、これまでにもEとFの口論に際しても包丁が持ち出されたことがあったことなどからすると、Eは、Fらを傷つけようとしてではなく、Fの言動に興奮して戯れに包丁を持ち出したにすぎないものと認めるのが相当である。
また、EとFは、本件事故以前にもIのことなどでしばしば喧嘩をし、その際にはEがFを突き飛ばしたりFに包丁を投げつけたりしたこともあったというのであるから、本件事故当日のEの暴行が、EとFとの間においては異例の事態であったとも思われない。現に、Fは、刑事第一審公判廷において、このときの喧嘩も翌日には収まるという気はあったかという質問に対し、「ありました。」と供述しているところである(乙一一、五八頁)。
さらに、Fの刺突行為の際にはEの興奮状態は大分収まってきていたことや、本件事故に至るまでのFの心の葛藤などからすると、Fが刺突行為に及んだのは、まさに、それまでの間、Eから罵倒されたりIを邪険に扱われたりしたことに対する悔しさなどが一気に込み上げたからと考えられ、本件事故当日のEの暴行はその誘因の一つとなったものとは認められるものの、それが決定的なものであったとは認め難い。加えて、Fの刺突行為は、それまでEから加えられていた暴行に比すると、危険性の程度において著しい相違があるといわなければならないし、EがGとともに倒れ込んでからFが包丁を取りに戻って本件刺突行為に及ぶまでには相当程度の時間的離隔があったと認められ、そして、当時Eの興奮状態は大分収まっており、EはGとともに部屋に横臥したままの状態で、特段の抵抗を示すこともなくFの刺突行為により受傷するに至っているというのである。
以上説示したところを総合考慮すれば、Eの暴行とFの刺突行為とは、主観的にも客観的にも異質なものというべく、これらを一連の闘争行為とみるのは困難というべきである。
したがって、EにおいてFの刺突行為を当然に予測し得たということはできないし、EがFとの闘争行為の過程において本件事故に遭遇したものということもできない。
そうすると、Eについて生じた傷害、ひいてはその死亡に対して保険金が支払われることが信義則に照らして不当とまではいえない。
なお、被告は、因果関係の割合的認定を認めるべきである旨主張するが、かかる見解は当裁判所の採用するところではない。
したがって、右被告の主張は、いずれも理由がない。
以上のとおり、本件事故は、闘争行為によって生じたとはいえない。
3 争点3について
犯罪行為によって生じた結果について保険金の支払を免責する趣旨は、被保険者の犯罪行為によって傷害ひいては死亡という結果が生じた場合にも保険金が支払われるとするのは、後顧の憂いなく犯罪行為に走らせるおそれがあり、ひいては一般の公益に反すると考えられることによるものと解される。
これを本件事故についてみてみると、前記1で認定したところによれば、Eの暴行は、包丁を使わずに手拳や足蹴りといったものに終始しており、Eの死亡という結果の重大性に比するとその危険性は著しく低いものであると認められる。また、Fは左眼部以外には負傷した様子は窺われないし、前述のとおり、Eの暴行は、Fの刺突行為の誘因の一つにすぎないというのである。こうしたことからすると、Eの暴行それ自体をみたときには刑事罰の対象となり得る行為ではあるものの、犯罪行為が免責事由とされた趣旨にかんがみると、本件について保険金が支払われることが公益に反するとまではいえない。また、前記2に説示したとおり、Fの刺突行為はEにとって予見し得なかったものと認められる以上、Eの暴行との間に因果関係を肯認することもできないというべきである。
そうだとすると、本件事故は、Eの犯罪行為によって生じたとはいえない。
第四結論
以上の次第であるから、原告らの請求はいずれも理由があるからこれらを認容することとし、主文のとおり判決する。
なお、被告の仮執行免脱宣言の申立てについては、相当でないからこれを付さないこととする。
(裁判長裁判官 金井康雄 裁判官 藤田広美 裁判官 榎本光宏)
別紙<省略>